「当たり前」の感触-闘病の下り坂

感染症との厳しい闘いは概ね終わり、少しずつではあるが快癒の訪れを感じている。

久しぶりに耳にイヤホンを付けると、心地よい音を聴くことができる。
久しぶりにコンタクトをつけると、外の世界が鮮明に見える。
外を歩くと電車が近づく音が聞こえてくる。

辺りを見渡すと人々が歩いているのを目にすることができ、近くのスーパーで買い物をすることができる。


もう天井と窓枠と悪夢だけを見続ける凄絶なタームからは降りている。

明日明後日が無事に来るかすらわからなかった時を経て、こうして再び外の世界へとつながることができるようになり、
生きることの、生活することの「当たり前」の一つ一つを、ゆっくりと噛み締めながら世界に再びアクセスしていく。

まだ頭はぼうっとしていて、息も苦しいが、少し外に出られるくらいにはなった。


二週間程以上、閉鎖空間で生死を彷徨っていたので、外気に触れられるだけで新鮮な心持ちがする。


今ならば、夏夜の湿った夜風すらも愛することができる程に自分の中の自明性が変容している。

今はまだ当たり前だと思えない、特別になったこれまでの当たり前を噛み締めながら、少しずつ身体を回復させていく。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
ad
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク
ad
スポンサーリンク