14日目
ホテル療養当日が来た。
保健所から「当日は迎えのタクシーについて、9〜10時の間に電話をするので出てください」と言われていたが、全く連絡はなかった。
何時にタクシーが来るのか、そもそも本当に来るのかもわからなかった。
12時半ごろに、タクシーのドライバーから電話があり「お聞きしてると思いますが、いま向かっていて、13:35にご自宅に着きます。」と言われた。
こちらが何も聞いていないと言うと、「え、連絡がないなんて、本当ですか..?」とドライバーも驚いていた。
保健所も都も終わりの見えない対応の山に追われているのだなと改めて思った。
とにかく準備をする。
指定時刻の10分ほど前に到着の電話があり、タクシーが家の近くに停まっていた。
運転手とは会話をしない方式で、基本的に相槌などでコミュニケーションをとった。
座席の前後は、くまなくビニールで仕切られていた。
ホテルは自宅から少し離れた、車で30〜40分くらいのところだった。
咳と痰がしきりに出るが、我慢して到着を待つ。
ホテルにの前に着く、何かの齟齬があったのか入り口で車に乗ったまま15分ほど待たされ、運転手は「しっかりしてくれよ。後ろに患者を乗せてるんだよ!」と駐車場の人に怒りを露わにしていた。
臨時的に作られた、展示スペースによくあるような白い壁を通過してホテルの中入ると、1階はブルーシートで敷き詰められていて、長机の上に飲料などが積まれていた。
フロントで、窓越しに簡単な説明を受けたが、詳細は後ほど内線で説明するとのことだ。
部屋は一般的なビジネスホテルだった。
ちなみに部屋に電子レンジはなく、弁当を取りに行くときにだけ行ける1Fに電子レンジが6台ほどあった。
以後、罹患してから20日目に、診断書を貰いに行くときに看護師が言っていたが、「14日目にホテル療養開始は遅すぎる。」とのことだった。
私も、治りかけで下り坂のときにやっとホテル療養開始とは、どういうタイミングなんだろうと感じが、この逼迫した都の状況では一人一人の判断や管理をする余裕はとうになくなってしまっているのだと推察した。
15時ごろ、内線で看護師と電話をする。
体重を聞かれたので、今は40kg以下だと答えると驚いていた。
寝たきりで痩せてしまい、腰骨や肘骨が出て、尖ってしまい、見た目という点でも気持ちが悪かった。
ご飯は朝8時〜9時、昼12時〜13時、夜18時〜19時の間に1Fに取りにいく。
部屋から出てエレベーターに乗って取りに行く形式だった。
食事を取りに行く際に、大量の陽性患者を目の当たりにすると、自分も感染者でありながら少し悍(おぞ)ましい気持ちになった。
弁当を取りに行っている人は、咳をしていて少し容態が悪そうな人もいたが、基本的にはそう悪い容態には見えなかった。
それもそのはずで、本当に症状が深刻だととても部屋から出てエレベーターに乗る力はないだろうなと、症状ピーク時の記憶を思い出しながらそう思った。
弁当はバランスが意識されていて、量も結構多かった。
また、1日1つ、カップ焼きそばを取ってもいいと言われた。
カップ焼きそばのソースの臭いが少しした気がするので、嗅覚も少しは戻りつつあると思った。