息苦しかったので、うつ伏せで寝てみる。
体が熱すぎてベッドにもいられなかったので床に転がり落ちる。
横向きに寝転び、重い身体を動かすことができず、↑のような景色が続くことになる。
しきりに熱が奔出してくる。
熱くて熱くて、まるで火山岩になったような気分だった。
また、この時から鼻も詰まりだしていた。
アレルギー性鼻炎の点鼻薬をしても効かなかった。
1時半に解熱剤のカロナールを追加する。
全く効かず、39度台のまま夜が明ける。
薬も減り、体調が悪くてマズイなと思ったので、PCR検査をした病院に電話をかけるが出ない。保健所にも電話をかけたが出ない。
朝8時頃、依然として39度の熱で動けない。立ち上がれなかったので、手に届く範囲のゼリーを流し込み、解熱鎮痛剤のカロナールを飲む。
解熱鎮痛剤⇄寝たきり、の繰り返しがずっと続く。
依然として身体に力が入らず、体が床にめり込んだ錘(おもり)になったような気分だった。
近くの病院はまだ電話に出ない。
パルスオキシメーターがないと、自分の容態の程度がわからないので保健所に電話をするが、一度も繋がらない。
13時半、PCR検査を受けた病院に電話が繋がる。(この時点では、PCR検査の結果はまだ)
内容は↓のようなものだった。
・陽性の場合は、食料の段ボールがくる。ただ、今のところいつになるかわからない(→最終的に、何も来なかった。
ちなみに、後に保健所の説明で明らかになることだが、保健所の判断で、「年齢が若い」や「重症化のリスクが低い」と判断された場合は、食料やパルスオキシメーターなどの物資の発送は特になく、療養期間が記載された紙がポストに入っているだけのこともあるとのことだ。私はその該当だったようで、何も来なかった。)
・パルスオキシメータもその段ボールの中に入っている
・そのため、それが来るまでに悪化したら救急車しかない
・ただ、その場合もとても搬送に時間がかかるし、受け入れ先も基本的にはない
・救急車を呼んでから、救急隊員があなたの部屋に来るまで1時間以上かかることもあるので、早めに呼ぶこと
・どこに行っても、都内に助けてくれるところはない
・あなたは熱が続いていて、免疫もかなり低下しているだろうから、他の病気にも気をつけたほうがいい
・エネルギーも限られているので、動くのも極力控えて、シャワーもやめておいた方がいい
・薬がなくなったら、届けてくれるらしい。法律で出せる量は決まっているが、今はそうも言っていられないのでなんとか処方してくれるそう
・ちなみに、PCR陰性なのに体調が悪い人は、今は二つ流行っているものがあり、
①お腹を下すタイプの胃腸風邪
②最初にやたら強い頭痛だけが来て、そのあと発熱するタイプ
症状のようなものがあるにも関わらず陰性になる人は↑のケースが多いらしい。
という内容で、丁寧にご説明を頂いた。
15時50分ごろ、病院から「残念ながら陽性でした」という電話が来る。
これだけ症状が出ていたので、やはりそうかという所感。
17時前、解熱鎮痛剤を追加で飲む。
飲んでも効かず、体は床にめり込むように動かない。
解熱剤も効かず、もうなす術がないと思い、まず#7119に電話して相談し、看護師が必要だと判断し、17時半頃に救急車を呼んでもらう。
息がしにくかったが、ただ耐えるのみだった。
到着の5分ほど前に、個人情報の最終確認の電話が来る。冷静な口調だった。
18時過ぎ頃に、サイレンが近づいて来る。
日頃救急車のサイレンの音を聞くと、不穏な心持ちがするものだったが、
呼んだ当事者になると、近づいてくるサイレンの音から、「今、確かに助けに来てくれている」と、生命の灯火のような温かさを感じた。
そいて救急隊員が来る。
一人は換気のためドアを開けていた。
もう一人が「そこに椅子がありますよね? 座れますか?」と言った。
隊員は「楽にしていてください」と言い、私の血圧、心拍数、酸素飽和度などを測る。酸素飽和度は97、心拍数は135だった。
「残念ながら、今のあなたみたいな人は大量にいて、もう搬送できる病院はないし、かなり重症化していないと救急車にも乗せられない。
酸素は足りてる。大丈夫だから、自宅で頑張ってくれ!
若い人は殆ど助かってるから、死ぬ人はいないから、大丈夫だから!
とにかく気持ちだけ折れないように、気を保って。
それでもダメならまた呼んでくれたらいいから!!」
と、必死に言われる。
終始、私から全く目を逸らさなかった。
力強い声だった。
業務だから言っているわけではなく、心の奥か、貴方に向かって、貴方のために言っているんだということがひしひしと伝わってきた。
真っ直ぐな目が「大丈夫だ、頑張れ!」と訴えているようだった。
意志の力を感じ、ビリビリと身体が震えた。
「保健所から今日連絡は来ますかね..?」とお聞きしたら「来る…!」と言われた。
(ちなみに以後も数日、一本の電話もなかった。)
換気して、ゆっくりと呼吸をしてくださいと言われ、救急隊員は家を後にした。
「絶対に治るから。大丈夫だから!」と背中を押す救急隊員の力強い声が、残響のように私の脳裡に刻まれる。
この後も数日、「あの時きっと治ると言ってくれたし、治りますよね、いや治してやります。」と何度も自分の心に言い聞かせて、意志の力で耐え凌ぐことになった。
どうなるのかわからない不安を抱いていたのもあり過呼吸になっていたが、
隊員の、意志を乗せた言葉の稲妻に打たれ、緊張が解かれたような気がした。
少しずつ呼吸はゆっくりになり、身体の力が緩んでいった。
その後も暫くぼうっとしていた。
次第に、窓から見える綺麗な空を見ることくらいしか、ポジティブな出来事がないという状況になってくる。
夜には症状が悪くなることが多いので、夕焼けを見るたびに、その後が不安になる日々だった。
その後19時台、バナナ、ヨーグルトを食べると味覚が変に感じた。味覚が曲がっているような感覚。
毎日食べているものから、はじめての味がした。
言葉では表し難いが、不味くてとても食べられなかった。
それとほぼ同時に、嗅覚も完全になくなる。
試しに目の前で香水を振っても、何も感じれない。
香り付きのボディクリームを近くで匂っても、無香料のようだった。
20時、解熱剤が効いて38.4度。37度台はもう遠い記憶になる。
食べないと治らないと思い、お粥を食べる。身体に力が入らず、スプーンを持っていられず、一口、また一口と食べるたびに「カラーン」とスプーンを落としてしまう。
時間がかかるが美味しく完食した。
シャワーもやめておいたほうがいいと言われたが、コロナウイルスに罹患する5日前に手術をしていたため、そこだけは洗うために力を振り絞ってシャワーを浴びる。
熱は下がらず、日付は変わる。