「今日が人生最後の日だと思って生きろ!」の意味-出力の大切さ

タイトルにあるような言葉、一度は耳にしたことがあると思います。

有名なのはスティーブ・ジョブズの格言、「もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?」でしょうか。

しかしこの今日が最後だという言葉を耳にして、多くの人が「そんなことを言われても、一体どうすればいいんだ….」
「まあ今日が人生最後なら、今までお世話になった人たちに感謝を伝えることくらいかな…」など思ったことだと思います。

そんな、なんとも腑に落ちないこの言葉について、今回は私の解釈を述べようと思います。

こちらは私の解釈なので、皆様がどう解釈されるかどうかはもちろん自由です。

結論は、タイトルにある通り「出力を惜しむな。」に集約されると思います。

もう少し具体的に言えば、「自分の中に留まっている事を、何らかの形で外に出しなさい。」ということです。

↑上記で例示した「大切な人に感謝を告げる」も〝出力〟の一つです。

当たり前ですが、生物が肉体的に死ぬと、何かを感じることも、考えることも、表現も伝達もできません。

そのため、思っていること、感じていること、表現したいこと、誰かに伝えたいことが〝もし、存在していても、〟
外に出さずに死んでしまったらそれは(外側から見れば)最初から無かったものと同然ということになります。

そのため、やはり私は、今日が人生最後の日だと思って生きるなら、〝後悔のない出力〟をしていきたいと思うところです。

出力の手段はなんでもいいんだと思います。

大切な人に手紙を書く、(現在の私がそうですが)思っていることをブログに書く、(アーティストなら)内なる情念を作品に昇華させる、など、色々な自分の内なるものを外に出すことが思いつきます。

言葉もまた無形の出力です。

もちろん、思っていることを全て言ってしまおう。という無条件なものではありません。 
負の効用しか生まないような、あえて言わなくていいようなことは、やはり言わなくていいのです。

ただ、なんとなくその時伝えていなかったこと、言いそびれたこと、タイミングを見計らって言えなかったこと、そんなことも多々あると思います。

言葉は〝伝達の手段〟という役割が大きく、伝われば、(相手が忘却したり死んだりしない限り)残存し続けます。

「自分が外に出力したもの」は案外、自分より長生きすることが多いと思います。

現実的には死が差し迫っているわけでなくとも、日々出力し、日々託すこともまた大切なことなのかなと思います。

こんなことを書いている私ですが、かく言う私も出力不足です。

思っていることをすぐ外には出さないですし、ブログなどの発信も、ある程度形にならなければ中々出せません。

もちろん〝出力するもの〟の質は大切です。しかし、やはり出さなければ客観的に見ても意義はないでしょう。

そういう意味では、出力という視点から見れば、完璧主義も内向的な気質も、足かせになりかねないので私も気をつけたいところです。

そんな私も、当サイトで発信することで、出力を精進していけたらと思います。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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