ファッション イン ジャパン 1945-2020 -流行と社会 ①戦時中〜1950s

国立新美術館の「ファッション イン ジャパン 1945-2020 流行と社会」へ行ってきました。

貴重な資料たちを鑑賞して、戦時中から現在に至るまでの日本のファッションの変遷に触れられました。

服飾それ自体はもちろん、ファッション取り巻く文化のこれまでとこれからについて考えさせられるような、奥深い刺激を感じられた展示でした。

国立新美術館の中(驟雨下)

写真撮影可能だったスペースが非常に少なかったので、文字多めになりますがご了承ください。

それでは前半編。

個人的な意見ですが、本展の見所は前編でした。というのも、古いものはこのような美術館や資料館でないと、中々お目にかかれないという単純な理由からです。

一般的な古着屋で販売されているものは1970’s〜2000’sが多く、もっと古いものだとしても、ユーロヴィンテージなどが多く、日本のものを(特に展示という形で)目にすることができるのは非常に貴重でした。

古い服というと西洋のヴィンテージを嗜好する傾向はある(そもそも数も多いから)と思いますが、だからこそ日本の洋服の歴史に対峙できるのは良い機会でした。

日本中の文化館やファッション学校から集められた貴重な資料を、目に焼き付ける気持ちで見ていました。

・プロローグ:1920’s-1945 和装から洋装へ

セットアップを着た女性(1935)

『銀座、女性たち』という写真から、着物を着た女性と、恐らく洋装である洒落たセットアップを着た女性が並んで歩いていて、洋服の大衆化の黎明に触れられたような気がします。洋服を軽やかに着こなす女性たちからは、今でも通じるような美意識、素晴らしいバランス感覚を感じました。

銘仙(1935〜1940)

また、零戦の柄をした銘仙もまた、非常に時代象徴的で、考えさせられました。

銘仙は重厚で着やすくはないかなと思いますが、外出用にわざわざそれを着ることから、暗鬱とした戦時下での外出は、いっそう特別なものだったのではないかと推測させられました。

(銘仙: 平織の絹織物の一種。絣の技法を用いて柄をあらわす。鮮やかで大胆な色遣いや柄行きが特徴の先染め織物である。 

参考: https://ja.m.wikipedia.org/wiki/銘仙)

婦人標準服、国民服(1940〜1945)

そして、このプロローグの章で最も印象的だったのが、婦人標準服、国民服です。平たく言えば、「国民全体が一丸となる」という名目で統一されたその名の通り〝標準〟な服です。「人間の身体を一様な洋服で拘束している」など、背景に関して批評の余地はあるかもしれませんが、今回は脇に置いておくとして。

率直に、服としてとても綺麗な形だなと感じました。

特に、中央にあった標準婦人服。やや絞られたウエスト、綺麗に入ったプリーツ、端正なバランスからは現代にも通じる普遍妥当性があるなと思いました。

また、2020AWのDRIES VAN NOTENを彷彿とさせるような(実際には無関連だと思いますが)白と紫柄の綺麗なバランスも個人的に注目ポイントでした。

(写真不可で申し訳ありません…)

隣の唐草模様のもんぺも、単調な無地だけでなく、遊び心のある柄からも、辛苦の戦時下でも小さな楽しみを見出そうとする心を看取れた気がします。

・一章:1945-1950年代-戦後、洋裁ブームの到来

本展では、終戦までを0章(プロローグ)として扱っていて、ここから1章の幕開けです。

さて、

言論の自由が解放されたのが大きいと思いますが、この章は最も雑誌や書物などの資料が多かったです。これらはとても貴重です。

この年代のものは古本屋でも早々ないですし、もしあったとしてもこうしたまとまった形で目にする機会はここでしかないと思いました。

沢山の資料がありました。

この時代から、

①自らの美を作るため ②食べていくための手段のため この2つの観点で、洋服を自分で作る人が増えたようで、付随して作り方の本が増えたというのも背景としてあります。

まあ、研究者とかでない限りは、全てに隈なく目を通すというより、サラッと見て、その中でお気に入りの言葉を見つけるのも一つの楽しみかなと思いました。(私は結構隅々まで見てしまいました 笑)

昔の雑誌からも、時折宝石のような言葉が転がっていました。

私の心に残っている言葉を抜粋します。

「虹のようにあらわれ、泡沫のように消えていくきものの流行の中で、いつまでも残り、それゆえに一番美しいものは、暮らしを何よりも大切に考えているものだけ。」

(働くひとのスタイルブック,衣裳研究所,1947年)

特に卓抜した表現だなと感じたのは、流行は「虹のようにあらわれ、泡沫(儚く消えていく泡)のよう」であるという箇所です。

これは、毎シーズン毎シーズン、言わば夢を見せている(かのような)現代のファッションショー、コレクションにも通ずるところがあります。

(特にコレクションを否定するわけでもなく)実際に、そうしたファッショントレンドは泡沫のように儚いかもしれないです。

コレクションの歴史も、畢竟、泡沫の残滓かも知れません。

しかしその中でも、トレンドの渦からは留保された、「自らの生活」を豊かにするものを大切にしていきたい。

そんな、夢から覚めても残るようなリアルな豊かさを希うような姿勢は今を生きる我々も考えさせられるテーマだと思います。

この章は、とかく雑記の装丁から、綴ってある言葉まで普遍性を感じられるものも多く、含蓄に富んだ内容でした。

文字があまり得意じゃないなという方は、資生堂の歴代の広告も展示されているので、視覚的にもとても楽しめるものだと思います。

今見ても、確かな美意識、文字の位置などの絶妙なバランス感覚、(現在はメンズラインこそあるものの)女性に夢を与えるメッセージ性、そんなところなどからも資生堂のプロフェッショナリズムも感じました。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

以後に続く。

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