夜の19時過ぎ。
39.4度の発熱。
息もろくにできなくなり、救急車を呼ぶ。
当時の状態は以下のようなものだった。
・6日連続熱が39度超え。
・保健所から未だ無連絡。
・170cm 38kgまで低下。
・7/31に粉瘤の手術をして、まだ手術の糸が入っている。
・手術の所を洗うことも、塗り薬を塗ることも、ガーゼを替えることも諦めた。
・薬が多くて下痢をしている。
・味覚あり。嗅覚なし。
・ふらつき。頭痛。咳。痰。息苦しさ。
・7月末、2度の突発性蕁麻疹を起こしており薬を飲んでいた。新型コロナウイルスを治すことに専念するため、今は薬飲むのをやめている。
今回、救急隊員は、保健所からの連絡があるまで自宅にいてくれるということで、1時間弱はいてくれた。
保健所の本部に私の容態を連絡して、本部長の返事を待つとのことだった。
救急隊員が防護服を着ていることもあったが、やはり私の部屋が暑いらしく、隊員が私に許可を取りエアコンの温度を16度まで一気に下げた。
横に人がいるだけでもかなり安心できた。
まともに話せず、容態を家族に説明する力も残っていなかったため、救急隊員に状況を説明してもらい音声を録音してデータを家族に送ることにした。
今、その音声を聞いていると、自分の過呼吸からもあの時の凄絶な状況を思い出す。
まともに発話できなかったため、隊員との受け答えは、音の数を省略したカタコトか、スマホに打った文字を提示する方式をとった。
痛みに悶え、息を切らし、土下座に近いような体勢でベッドに沈み込みながら隊員から状況を聞く。
ここからはその録音を文字に起こそうと思う。
・現在、貴方のような方が都内には大量にいる状況
・受け入れてくれるような病院も逼迫していて搬送先の病院が見つからない
・今、血圧や酸素濃度などを計測して、保健所の本部に伝えた。入院できるかは全て保健所の判断待ち。
・ただ、この時間(19時半過ぎ)になると保健所の人手も減っていてその返事自体にも時間がかかる。
・病院も、退院などで人が動くのは日中なので、夜はベッドが空かなくなるので、これから搬送先を見つけるのは相当厳しいとは思う。
・呼吸器をつけることもできるが、より苦しくなるので、今の段階でははやめておいて自力で呼吸したほうがいい
この後、保健所長から電話がある。まず隊員と保健所長が話す。
その後、隊員の携帯電話で、私と保健所長が話す。
会話内容の全ては覚えていないが、本来なら貴方は入院対象だが、どうしても入院できない状況だということだ。
あなたの酸素の数値は大丈夫。命の危機があるほどではないはずだから、なんとか自宅で療養してください。と言われた。
語り口からも、酸素飽和度が判断材料において大きなウェイトを占めていると感じた。
尚、保健所から全く連絡がないことに関しては、「明日の朝から必ず連絡させます。」とのこと。
再び自宅療養の署名を書き、「また辛かったら呼んで下さい。」と残し、救急隊員が帰る。
症状が厳しくなり、限界を迎え、何もしてもらえないかもしれないかもしれないという葛藤の末に救急車を呼ぶ。
そしてまた自宅療養を言い渡され、一人死闘へと戻る。この繰り返しだった。
とうに限界が到来している身体を、「持ち堪えろ!」という一心で、精神力で無理矢理明日へと繋ごうとするような、底なしの絶望の日々が続いていた。