ファッション イン ジャパン 続編
1950s〜1970s(初期) 編です。
2章 1960年代「作る」から「買う」時代へ
1950年代から、パリメゾンのブランドは日本などでライセンス事業を展開していきます。
ライセンス事業とは、今で言えば「Burberry blue label」などにもニュアンスは近いかなと思います。(もちろん、当時のDiorなどはただ「Dior」という名を貸していただけではないですが)
この章も情報量が多かったので印象的なものをいくつかピックアップできたらと思います。
・ミニスカート、ショートドレス(日本航空株式会社,1970など)
ミニスカートは、ファッション史においても「身体の解放」などとしばしば言われます。
足を出すと、単に動きやすくなるでしょうからね。
このミニスカートの動きは、1960年のロンドンストリートで起こりました。ストリートからトレンドが起こるという、トリクルアップ的な流れですね。
この流れは、ツイッギー来日により、日本にも広がっていきます。
日本人がイギリス人のファッションを見て、取り入れる。
流行が発生する基本的な因果ですが、ここでも「文化は模倣の連鎖によって創られていく。」という良い一例かと思いました。
・森英恵「ハナヱ・モリ」(1964〜1966)
森英恵さんという方のルックが並んでいました。率直に絢爛豪華なルック達でした。
彼女は、「粗悪というイメージが色濃かったメイド・イン・ジャパンの印象を払拭した」とも言われており、確かにその素材感や装飾性には目を見張るものがありました。
まず、私たちの現代の観点から言うと「えっ、モノづくり大国の日本の、メイド・イン・ジャパンが粗悪だったの?」というところからですよね。
実はこの頃、化学繊維が、生産的にやっと安定した頃で、天然繊維以外の生地も、一定のクオリティが担保できるようになってきたという時期だったようです。逆にそれまでは生地の生産体制も不安定だったため、このようなことも関係してそうです。
ルック達からは、〝和洋折衷〟という言葉がふさわしいような洋の東西が邂逅したような様相から絶妙な調和を感じました。
より具体的に言うならば、シルエットはシャープでやや構築的な西洋、生地や生地に施された文字柄などは東洋の色を感じました。
※余談ですが、近代絵画の藤島武二の『東洋振り』にも似たニュアンスの和洋のうまい塩梅を彷彿とさせられました。
↓の絵画なのですが、東洋(現在の中国付近)の人物を、西洋の横顔を描写するときの構図で描いているそうです。
これも、東西のスタイルの絶妙な調和と言えるでしょう。
・オリンピックの〝赤〟
1964年、オリンピック開催ということで、当時は赤色のジャケットがオリンピックの制服として着用されていました。
面白いのがこれに対する反響の声です笑
当時は「男が赤を着るとは何事か!」と言われていたそうで、ジェンダーバイアスの色濃さを感じます。
今でも、例えばトイレの標識は女性が赤なので、わからなくもないですが、一方で性別関係なく赤の服を着る時代なので、客観的に過去を見ると面白いですし、また考えさせられます。
今も、未来から見ると笑えるバイアスが沢山あるんだろうと思います。
今回はこの辺にしておきます。
続く。