本当の歌とは何か___
先日、鎌倉の鶴岡八幡宮へ行った。
3回目のことだった。
小鳥の囀り、鴉の伸びやかな鳴き声、揺らめく睡蓮の花、そんな美麗な風光明媚に触れていると
透き通った風が心にも吹き、せわしさから留保された牧歌的な揺らぎを感じる。
鳥達が、どこまでも自由に、伸びやかに鳴いていた。
その声に、私は震えを感じた。
何にも変え難い美の感興である。
そもそも、どうして鳥の声は人を癒すのだろうか。
人はそもそも自然に生きる類だからだろうか。
次にどこかで同種の鳥の声を聴いたとしても、恐らく一過的な鳥の声を、都度弁別するだけの神経は私には備わっていない。
だとしたら、固有名詞的な鳥の声を聴いているように見えて、意識上では私は普通名詞的な鳥の声を認識しているのか。
とかく、鳥の声を聴いている瞬間においては、感覚的に(概念性を二次とすると)一次的な音を味わっている。これだけは自明過ぎる事実である。
人が心地よく感じる「1/fゆらぎ」の周波数などもよく言われたものだが、そろそろ考えるのをやめてみる。
胸の内奥まで響く鳥の囀りに身を任せるのもまた静かな愉悦のひとときだと感じた正午のこと。
また、
『草枕』にて、ある女性が、鳥の声を聞いて、
「あれが本当の歌です。」という場面があるが、
少しわかった気がした。
「本当の歌です。」の後は無音の透徹とした余韻が広がっていたのだと思う。